泣きまくった昨年の出来事 2
前回の続きになります。
前回の病院に10時間滞在というのは驚きだったのではないのでしょうか?
スマートフォンの充電も持ちません。車にいても寝れても30分ほど
時間は進まない、やることない。何かを待つということの大変さを学びました。
病院の初日が終わりその数日後また病院に、、、
病院へ行くとすぐに採血
エコーをもう一度撮ってもらい診察室へ
初日ほどは待ちませんが、それでも1時間近くは待ちます。
2回目の病院に行く間の数日間でいろいろなことを考えました。
もしも、悪性腫瘍だったらどうしよう、この先どうなるんだろう
本当に今までに考えたことがないくらい考えました。
病院へ行く前から緊張。 母は多分もっと緊張していたと思う。
私が怖い顔をしたり、心配そうな顔をした方が母は気にするのではないかと思い
結果を聞くときは軽い気持ちで受け止めようと思いました。
いざ、結果を母から聞くとき、、、
母だけ診察室へ行き、結果を聞きました。
私の元へ戻ってきたときは普通の表情でした。
最初はどっちの反応かわかりませんでした。ですが、話を聞くと
やはり、悪性腫瘍と医者から言われたみたいでした。
違うことを信じていましたが、悪性腫瘍と言われると涙が込み上げてきました。
必死にそのときは耐えました。(ブログを書きながら涙目)
母は普通の表情をしていましたが、自分が1番辛いと思います。
心配をかけたくないと思ったのかもしれません。なので私も「あ、やっぱりそうだったのか」くらいの返事をしてしまいました。
今思うと少し冷たかったかなと思います。しかし、そこで号泣していたら母の涙を見ること
になると思いました。そっけない態度をとった自分を恨みたいですが、正解の態度をした
のかもしれません。
その後家に帰ってきて、夜になって母が寝た後にとても泣きました。男泣きというやつだと
思ってください。
その夜に決意しました。
病院の時は必ず付き添うとそう決めました。(決意表明を今させていただきました)
手術をすることが決まりました。
病気が発覚したときは12月の上旬くらいでしたが、手術をするのが12月の下旬の本当に年末の頃でした。
手術当日
父と一緒に病院へ行きました。朝からの手術だったので病院のオープン待ち状態でした。
今はコロナかということもあり、病室に入ることができませんでした。病室に入る一歩手前の
ところで母を待っていました。
主治医の先生がやってきました。ん?何かあったのかと思いました。
その予感は当たりました。
手術当日になって手術ができないとのことでした。なんで?と普通は思いますよね?
私も思いました。
母は下肢静脈瘤ということもあり、血栓ができやすい状態だったため、肺の近くにも
血栓ができていたため手術を中止する決断に至ったみたいです。
先に血栓が見つかったのは本当によかったです。
手術してから何かあっては遅いのです。
手術の延期が決まりました。
その日のうちに主治医からの説明がありました。
血栓の治療も進めながら抗がん剤を行ってガンを小さくしましょうとのことでした。
先に抗がん剤をやるとなると手術はいつやれるのかと心配になりました。
手術を行えば平気という考えは良くないと思うので、承諾はしました。
抗がん剤は時間もかかるのと体の負担が大きいと思いました。
1回目の抗がん剤治療
最初は入院をしている間に行いました。ドラマなどのイメージでは吐き気が凄いイメージでしたが、母は吐き気などはまったくなかったみたいです。
安定してきたら退院しました。
その後通いで抗がん剤を行うことになりました。母が抗がん剤を始めてから知ったことなのですが、抗がん剤にはアルコール成分が入っているため、抗がん剤後に運転はしてはいけないそうです。
私は半年前ほどに免許を取っていたので送り迎えができたのでよかったですが、
取ってなかったらどうしていたのだろうとヒヤヒヤしました。
とても免許を取っていてよかったと思えた瞬間でした。
続く、、、、